自分自身になること

人生の意味を考えるたびに、「もし人生に意味がないとしたらどうするのか?」という疑問に達し、「意味が無くても生きる」という結論に達する。
そうすると「人生に意味なんて無い」となってしまうけど、それはなんだかむなしい気がしてくる。そして、「人生の意味なんて自分で作るものだ」と、なんだかわかったようなことを思ってしまう。
けれど、人生にどんな意味づけをするか、それがわからなかった。

自分の存在

14歳からの哲学 考えるための教科書

14歳からの哲学 考えるための教科書

池田晶子という哲学者(故人)の「14歳からの哲学」という本に、次のような文章がある。

自分は自分でしかないことによってすべてである。

この本で初めて哲学というものを知った僕は、この文章の意味がなかなかわからなかった。
けれど、僕の心に引っかかった。なんだかとても大事なことが書いてあるような気がした。

文章を読み進める内に、自分というものも他人も、そして世界も、自分が観察しその存在を認めるからこそ存在しているのだということがわかった。
「自分」というもの、「自我」というものを、初めて認識したのは、このときかもしれない。

自分らしさとは何か

「自分」が大事なのはわかったが、では自分とは何か? 自分はどんな人間なのだろう? ということはわからなかった。

自分がわからない理由

僕は今までの人生で、自分の感情を抑えることに最大の労力を使ってきたと言っていい。
「おいしい」と思っても「おいしい」と口に出すことができない。そして多くの場合、そもそも自分の感情がわからない。
「おいしい」と思っていても、他人が「まずい」といえば、「本当はおいしくないのかも」と思ってしまう。
感情を無視し、何かを感じても気づかないふりをし続けてきた僕は、そもそも感じなくなってしまい、「自分」を失ってしまったのだろう。

自分らしさを形成するもの

エス、ノーで答えられる10個のリストがあるとする。答えは2の10乗で1024通り。
日本の人口1億2800万人(2007年)を1024で割ると、全く同じ結果になる人は125,000人になる。
リストが20個になると、2の20乗で1,048,576通り、同じ結果になるのは122人。

選択肢が増えるほど、同じ人がいなくなっていく。個性的になっていく。

選択肢が増えるだけではダメ

何かを経験すると、自分にとっての選択肢は増えていく。しかし、その選択肢に対して判断をしていかなければ、自分らしさは作られない。
判断を保留していては、リストは増えていかない。
自分は何が好きで、何が嫌いで、何ができて、何ができなくて、何がしたくて、何がしたくなくて、そういったことをはっきりさせていくつれて、だんだんと自分らしくなっていく。自分自身になっていく。


最近、こんな風に思うようになった。


自分の感情は自分にしかわからない。


自分の心を感じられるようになりたい。