「やればできる」という空想を現実のものと思ってしまう

「やればできる俺」という欲望:NBonline(日経ビジネス オンライン)

 「何かが欲しい」という欲求は変わらないのですが、「どうしたら手に入れられるか」という発想の仕方が、私たちの10代の頃と全く違うところなんですよ。

今の10代の子は、例えば「サッカー選手になりたい」という空想を、現実世界でも「俺はなれるだろう」と容易にスライドしてしまうケースが多い

まるで自分のことをいわれているかのようだ。
自分も「やればできるんだ」という思いを持っているが行動はしないという、絶対に達成されない発想をしてしまっている。

やっぱり今の若者の方が現実感が薄らいでいるのかなと思ったが、若者が変わったというよりは社会が変わったのかもしれないと思い出した。

社会構造の変化

昔は大学進学率も今より低く、高卒で就職する人も多かっただろうし、フリーターという選択肢も少なかっただろう。

つまり、正社員という形で社会に出る人が多く、また出る時期も早かったのだと思う。
そして、「やればできるんだ」という空想を持つ余裕もないほど忙しかったり、そんな空想を打ち破られるような現実的な体験を否応なしに経験していたのではないだろうか。

けれど今は、社会構造の変化や平均寿命ののびなどもあって、社会に出るのが遅くなったり、昔はなかった職種が増えたりしている。

「いろんな生き方」を社会が許容するようになり、どこかに勤めていないと存在を認められないという風潮も変わってきた。
大学を卒業しても就職していないという状況に対する寛容度も増してきた。

モラトリアム期間の延長

今は大学に進学するのは当たり前と言っていい*1
つまり、もっと勉強したいから進学するのではなく、最初から大学に進むことが前提となっている。
もし高校1年生で「○○になりたい」という希望、空想を持ったとしても、卒業までには専門学校でもあと5年、大学なら7年の期間が存在することになる。

そして、モラトリアム期間は延びたが、人間の成長期というのは伸びていないと思う。
これにより、「まだ時間があるから大丈夫(=今はやってないけど、やればできる)」と思っている間に基本的な成長期を終えてしまい、いざ具体的な行動に移ったときには、思うように行かない(=なかなか成長しない)というジレンマに陥ってしまっているのではないだろうか。


ということで、個人的には高校を卒業した時点でいったん就職し、3年ほど働いてから、その後で学びたいと思うことができたら大学進学というシステムにした方がいいんじゃないかと思う。
高卒時点で空想を元に就職し、働いて空想と現実の違いを知り、現実に即した動機付けによって学問を行うのがいいんじゃないかなぁ。

*1:個人的な感想