透明な母親、他人事と自分事

自分がサルだってことも実感してね - spongey

東京と大阪にある具体的な地名を挙げて、こうした「労働者のドヤ街」を「探検」しろと言うのです。そういった地区は、「底辺の労働者」がいる、「労働者の臭い」のする「非日常的な場所」で、「非常にディープな体験ができる」そうで、そこで「わが身の幸せを実感し反省してみよう」と言うのです。

「アジアの貧しい国に行って、懸命に生きてる人たちを見てきなさい。そうすれば自分が恵まれてることもわかって、自分も頑張らなきゃと思うはずです」みたいなことを言っていました。


こういうことを僕の母親がよく言う。

テレビで不幸なニュースが流れるたびに、「世の中には不幸な人がいっぱいいるんだから、あんたもがんばりなさいよ」と言われる。


そういうことを言われるたびに、違和感を感じ納得できない気がしていた。まぁ反論は出来ないけど。

「非日常を探検」とか言って人の日常に土足で入り込んで「自分の幸せを実感」したりして、どんな趣味なのかし?こっそり思うのならまだしも人にまで薦めるだなんて、どんだけ他人事なんだ?っつか「自分たち」と「彼ら」の間にすっごい溝があるんだねー。んで自分たちは透明な存在なの。

なぜ納得できないのかということが、この「透明な存在」で納得できた。


テレビを見て「この人すごいねぇ」と言うけど、何かを学ぼうというのではなく、ただ「すごいねぇ」と言うだけ。
そして「こういう人もいるんだから、あんたも〜」と続く。
だから僕は「この人知ってる?」とか聞かれると答えるのさえ嫌になってしまう。どう答えても「あんたも〜」と言われるだろうと思ってしまうから。


まぁ、自分にもそういうところが多々あるから、人のことばかり言えないけど。
自戒を込めて。


追記:
そういえば小飼弾も言ってた。
404 Blog Not Found:学校ってバカを治療してくれんのか

頭がどれだけ優秀か、というのは、どれだけのことを自分ごととして頭がとらえられるか、ということ。裏を返せば、それをどれだけ社会ごとという名の他人ごととして頭がとらえるかが、バカの度合いということ。

他人事ではなく、自分事としてとらえよう。