ドラマ「トライアングル」

今日の22時から新ドラマが始まる。関西テレビの50周年記念ドラマらしく、おもしろそう。
今日、新聞やテレビを見ることに、なんの意味があるんだろうと思った。検索すると両方見ない人もいるようだ。


ニュースなんて、自分に関係ないことなら見なくてもいい気もする。存在すら知らなかった人のことを、殺されたことによってはじめて知る。存在していたことを知ったときには、すでにその人は存在しない。
派遣社員が契約を打ち切られ、ホームレスになるしかない、というようなことをNHKのニュースですら取り上げるが、正社員や派遣社員の求人は目の前に存在している。
マクロな視点から全体を知ることも重要だとは思うけど、もっと自分を中心としたミクロな視点でものを見る方が優先されるべきだと思う。両方の視点を切り替えられるのがベストだと思うけど、外部から示されるマクロな情報に影響されて、ミクロな視点がおろそかになってしまうような自分の場合には、もっと目の前に集中できるように、外部からの情報を遮断することが有効だと考える。


何年も前に、「今日○○県で、女児連れ去り未遂事件が起こりました」という全国ニュースを、現場とは数百km離れた地点で見たとき、そんなことを全国に知らせることで、いったい何を伝えたいんだろうと思ったことを思い出した。


政治や社会に無関心なのはダメだという風潮はあると思うけど、関心を持ったからといって、何も行動しないのは、無関心なことと変わらない気がする。関心を持つエネルギーを、もっと自分に関係したことに向けた方が、自分にとってはいいことだと思う。
「それ」を知ることで、自分がどう変わるのか。何も変わらないと思うなら、知る必要はない。有名人が行った店で食事することが好きなら、グルメ番組を見るのは健全な利用法だと思う。
ただ知るだけだとしても、知って良かったと思うなら、それは知識・意識が変わったことなので、意味はあるだろう。


地デジ完全移行が終わった後、せめて事件報道だけは、視聴者の同意がない限り、勝手に見せつけられないようなシステムにしてくれないものかと思っている。ローカル情報はともかく、全国に流す価値はあるのだろうか。
自分の想像力が低いだけかもしれないけど…。


結局、一番の問題は、ただ存在するだけのはずの情報に振り回されてしまうことだろう。客観的な情報の処理がきちんとできていない。
まぁ、とても興味があるので、ドラマは見よう。


追記:派遣社員の首切りに関係なく、就職する必要があるなら、そのための行動をする。多くの人がダメだから、と勝手にネガティブになっても仕方ないし。でも、そんな情報を知らなければ、就職できないのは自分の無力さのみが原因だと考えてしまうかもしれないので、やはり情報は知っておいた方がいい、ということになる。どうであるか、と、どう思うか、知識と感情をきちんと区別する。