聞き取り能力の不安

今日はセンター試験の英語リスニングをしてみた。結果としては44点取れたけど、話しの内容は半分も理解できていないぐらいだろう。疑問が残ったまま時間切れで選択肢を選んだ問題が、ほとんど正解していたので、運が良かっただけと言える。


英語は学生時代から点数を良くとれた方だけど、筆記に比べると、リスニングは本当に苦手だった。そして、英語だけでなく、日本語の聞き取りに関しても、ものすごく不安を感じていた。
テストの返却や出席確認などで名前を順番に呼ばれる時、自分の名前を呼ばれても聞き取ることができないのではないか、という不安をものすごく感じていた。今でもその不安は消えていない。
ビートたけしの話は、ほとんど聞き取ることができていないと思う。


聞き取り能力が低いのは、人と話さないようにしてきた影響も大きいと思うけど、話さないから能力が伸びなかったのか、能力が低くて聞こうとすることにとてもエネルギーを使うから、話すことが嫌だったのか、どちらだろうか。
英語のリスニングでも、聞き取ろうと集中していると、服を一枚脱ぎたくなるほどに上半身が暑くなる。聞き取ることは、それぐらい疲れる作業になる。(筆記試験でも同じような状況になるので、単に普段頭を使っていないだけかも)


用件を伝えたりする場合は、その用件1つを理解すれば、それで終わるので何とかなるけど、雑談になると明確な終わりがないので、果てしなく疲れる行為に感じてしまう。
聞き取ろうと集中していると、話を振られても対応できない。つまり、言葉の処理が追いついていないのだろう。聞き取ろうとしていると、一応は何について話しているのかという漠然としたテーマみたいなものはわかるけど、具体的に今どういう風に話が進んでいるのかを理解できていないので、話そうとしてもそもそも自分の意見が出てこない。
それは、漠然としたテーマしか分かっていない感じなので、話を振られたとき「あなたにとって人生とはなんですか?」といった、ものすごく大きな問いを突然投げかけられたように感じてしまうからだと思う。


その状況を避けるために、ある程度理解できているような場合でも、聞いていなかったふりをしてしまう。その理由は、聞いていない人に意見を求めるときは「○○について話してたんだけど〜」と、何について意見を求めているのかを説明してくれるので、ある程度話しやすくなるからだ。
相手にすれば、いちいち説明するのは面倒くさいので、聞いていないことが分かると、「聞いてないんなら別にいいです」という感じになって、その時点で会話のグループから完全に外れた状態になる。そうなると、一緒の空間にいるだけに相対的に孤独を強く感じるようになってしまう。


当然それは不快な状況なので避けようとするけど、避け方には2通りあると思う。1つは積極的に会話に加わっていくこと。でも、これだと話を理解できないし、話を振られても答えられないし、という不快感を感じることになる。
もう一つは最初から会話に加わらないこと。さらに、話を振られても、話を振られたこと自体を聞こえないふりをすること。これをすると「なんだよあいつ」みたいになるけど、こちらが関わろうとしていない分、相対的な孤独は意外と感じないで済む。


会話に加わろうとしない僕の心理は、こういう風になっているのかもしれない。
今の心境は、なんてへそ曲がりで意地っ張りで寂しい人間なんだ、と思っているわけではなく、自分の心理が分かって、多少うれしく思っていたりする。自分にもこんなことが考えられるようになったんだ、と。