相手の気持ちを知りたいなら、こうやって聞こう

自分の意見は言わない

相手の気持ちを知りたくて、話を聞こうとするとき、自分の意見を言ってはいけない
相手が話してくれたことに対し、「そんなの気にすることないって」などと励まそうとするのは、それを気にしている相手を否定する行為になってしまう。
もし、自分の話した意見が相手と100%同じならば、完全な共感となってプラスに働くかもしれないけど、100%同じということはなかなか難しいだろう。そして、わずかでもずれがあれば、それはきっとマイナスに働く。


自分の言ったことがもっともな意見だとしても、「結局この人は自分の意見に従わせたいだけなんだ」と思われてしまう。
そして「しゃべって損した」とも思われてしまうかもしれない。
そこまでは思われなかったとしても、次に話を聞こうとしたとき、少し身構えられてしまうだろう。「本当に私の気持ちを聞く気はないんじゃないだろうか」と。「聞くふりをしているだけなんじゃないだろうか」と。

エピソードもしゃべらない

また、自分の意見以外にも、自分のエピソードなども言わない方がいいだろう。
相手と自分との共通点、共通体験があるんだと、相手を安心させようとして言っているのかもしれないが、相手が何かを話すたびにそれに関連したエピソードを話すと、相手は「これを話したら、またエピソードを聞かされるのかな」と思いながらも「話を聞こうとしてくれてるので、話さないのは悪いかも」と憂鬱な気持ちでしゃべっているかもしれない。


意見やエピソードが参考にならないというわけではなく、まずは相手の気持ちをはき出させるのが先だと思う。

相手の話を聞くだけ

相手が何かを話したら「へぇ、そうなんだ」などとそのままを受け止める。「大変だね」のように相手を主語にした気持ちを勝手に解釈してはいけない。あえて言うなら「大変そうだね」と自分を主語にして言う。
相手が話したことについて相手自身がどう思っているのか、どうしても聞きたいなら「大変じゃないの?」「そのことについてどう思うの?」と疑問系で聞く。相手を知りたいなら、相手に聞くしか方法はない。「○○じゃないの?」などと聞くのは問い詰める形になりやすそうなので、やめた方がいいかもしれない。「普通はこう思うでしょ」という押しつけになるかも。
ただ、どう思うか自分でも解釈ができてない場合は、そこで話が止まってしまうかもしれないので、そのときまでに思ったことだけを聞く方がいいかもしれない。あえて深く聞こうとはせずに。


そうやって相手の話をそのまま受け止め、すべてはき出して一段落ついたところで、「自分はこう思うんだけどね」とか「こんなエピソードがあったんだ」などと話すと、相手もすんなりと聞くことができるし、参考にしやすいだろう。

心が弱く、プライドが高い、面倒くさい人

こういう風にしないと話してくれないような人は、きっと心が弱く、そのくせプライドは高かったりする面倒な人かもしれない。けど、相手の気持ちを知りたいと思うなら、こうやって聞くといいと思う。


そういう人は、それまでの人生で、話を聞こうとしてくれた人が、実は聞くふりをしただけで自分をコントロールしたいだけだったという経験をしてきていると思うので、最初からは話してくれないだろう。
そのときは、「話したくなったら聞いてみたい」ということを伝えて、その場を離れた方がいいと思う。


もしこのとき、話す気のない相手に、勝手に自分の意見を言ったり、自分のエピソードを語ったりして自己満足に浸ってしまうと、「突然やってきて、話を聞くふりをして、自分一人でしゃべり出して、勝手に満足して去っていった人」と思われて、最初は存在しなかった溝を作ることになってしまうので気をつけよう。


また、「話したくなったら聞いてみたい」といった後で立ち去らずにいると、相手は「自分がしゃべらないと相手に悪い」と思って、無理矢理話をするかもしれない。
その場合、話したくないのに無理に話した、という自己嫌悪・自己欺瞞を感じ、逆効果になってしまうだろう。


以上、“会社で引きこもる人たち”を動かす「ABCモデル」:NBonline(日経ビジネス オンライン)を読んで、「あなたの話を聞きますよ」的に迫られて、結局こっちが話を聞く側になってしまった体験を思い出しての記事。